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2008.02.29 赤の舞台
…カテゴリを開いてみて、舞台芸術というのがないのね。バレエとか芝居とか。オペラも含めてあると便利なんだけどな、とふと思う。

 2008年2月28日(木)19時30分、初日。
 東池袋の駅上に出来た、豊島区立のホールへ行く。
 昨年夏に、ヴェネツィアで行なわれたビエンナーレの祭で踊られた、ダンサー・森山開次のソロ・リサイタルを見に行ったのである。

 コンテンポラリーダンスはけっこう好きだが、受けるインパクトが半端でないことと、自分的に当たり外れが結構あることで、最近はあまり見ていない。ただし森山氏の踊りには縁があり、王子ホールでの『エレクトラ』三部作や、昨年11月の、ジャン=ギアン・ケラスとのバッハのコラボレーションに出演しているため、クラシック畑にも知られているかもしれない。

 清冽な肉体、というか。白く、無駄のない、呼吸する身体が、放熱する。
 その存在感は圧倒的だと共演者たちも言う存在。世界的にも才能を認められた若き逸材である。

 今回のこれは、作曲・ズルナ演奏/笠松泰洋、ヴァイオリン独奏/室屋光一郎、ということもあって、行ってきたもの。暗闇の中から湧き出るヴァイオリンは、出演者として舞台の上で、ダンサーとコラボレーションをする。弾く、というのもまた身体芸術であると、改めて見た。
 彼の演奏は確かな技術と、豊かな音色で、その世界にしっとりと馴染む。
 また、森山氏の踊りは、空間を極めて美しく切り取り、どの瞬間をストップモーションで捉えても、姿が抜群のバランスを持って決まるのだった。…というか、ダンスのことはよくわからないが、そういう気がした。

 楽曲が物語を語り、踊りが音楽を奏で、楽器は空間を規定する。不思議で、鮮やかな舞台。
 “捉われた獣のイメージ”とあったし、彼は、Erosを表現したいというようなことも言っていたが、このErosは、どういう種類のErosであろうか。セクシャルなものではない、だが確かにある。
 頭の中に浮かんでいたのは、最近読んでいたある小説である。未来都市に捉われた、少年。そのかもし出すSとM、支配する者とされる者、捉えるものと捉われるもの。
自由を求めていたはずなのに、自由があると分かった途端、自らそれに捉えられる不思議。
 赤い光が、最後は和風の、まるで庭園の静謐さのように、終わった。
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・・・ということで、NB Online「音楽カレンダー/6月のおすすめ」で紹介した新国立劇場バレエ団の「ドン・キホーテ」を観に行ってきた。

4階席中央ってのは初めてである。わりあい左右の席が好きなので、新国立でも、Bunkamuraオーチャードなどでも左右の翼の処によく座る。もちろん、一つには安いからだが、、、

 ドンキ~は派手な踊りで、コンクールではよく踊られるが日本で全幕上演される回数は意外に少ないような気がする。最近はそれでも増えているようで、新国立で見るのは2回目かな。以前のは「ドン・キショット」で輸入版だったような。
 ザハロワと寺島ひろみのダブルキャスト。選んだのは後者で、ザハロワ(ボリショイのプリンシパル)が素晴らしいのはわかっていたが、日本の注目されるバレリーナを見ておこうと、敢えてこちらに。・・・素晴らしかったですねー。
 バレエの細かいことはよくわからないのだが。主役の2人がともかく美しいことと力があることは見てもよくわかった。若いということもあるのかもしれないが、確かな技術と個性。それと、2人とも膝から下の足の美しいこと。ちょっとした動作、ちょっとした手や足の動かし方。音と音の、間。ここが個性っていうのだろうか。
 バジル役を踊ったデニス・マトヴィエンコはボリショイのゲストソリスト(元マリインスキーにも出ていてキエフ出身)、シーズンゲストとして新国立でいろいろな主役をやっているが、ともかくチャーミングである。足がとても音楽的というのかしなやかに動く。それとバネ、も力強さよりもしなやかさを感じ、それがバジルのちょっとコミカルで調子のよい若者役に非常に合っていた。

 それと。これ、どこでもそうではないと思うのだが。
 キトリの寺島とのアンサンブルが、非常に美しかった。ゾクっとしたほど。ちょっとした手の上げ方、スピード、角度がぴったり揃っていて、それがまた杓子定規じゃないのだ。相性がいいのか? それも技術なのか? ほんのちょっとしたことなんだけど。とても美しい。

 演出もシャレてて…そして何よりオケ上手かったです。先日の、オペラ『ばら騎士』でもそうだったのだけれども、東京フィルの良さを改めて認識した。2幕・居酒屋でのギターの踊りのチェロソロ(Kさん素敵♪)とか、3幕のフルートとピッコロのデュオソロとか。いやぁ美しかったですね。指揮者もよかったのかな?

と、満足した夜であった。・・・あ~それと。衣裳が素敵だったです。色彩感がよいよね。演出、、、ザ・スタッフの大澤さんだ。なるほど。

PS 隣の中劇場でルジマトフ演ってました。買えなかったので、来週、東京国際フォーラムに行ってきます(^_^)

2007年2月6日(水)銀座・王子ホール

  レイフ=オヴェ・アンスネス ピアノリサイタル
  曲目/シベリウス:「キュリッキ」三つの叙情的小品 作品41、13の小品 作品76より No.10「悲歌的に」、No.02「練習曲」、五つの小品~樹の組曲 作品75よりNo.4「白樺の木」、10の小品 作品24よりNo.10「舟歌」
  グリーグ:ノルウェー民謡による変奏曲形式のバラード 作品24
  -intermission-
  シェーンベルク:六つのピアノ小品集 作品19
  ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番 ハ短調
  アンコール)3曲。バッハ=ブゾーニ:主イエス・キリストよ、われ汝を呼ぶ、メンデルスゾーン:無言歌 作品67-2、シューマン:4つのピアノ曲 作品32-3「ロマンツァ」-4「フゲッタ」

 一昨年、東京フィルの協奏曲に登場して(来日は通算10回目で初来日は93年ではあるが)ワタクシの度肝を抜いてくださった北欧・ノルウェーの王子様(というには少々年長ではあるが)。ピアニストだが音楽祭を主催したり最近は指揮者もやる、レイフ=オヴェ・アンスネス。演奏は色彩感とボリューム感溢れ、才能がほとばしってる感じで。けっこうファンになり、5年ぶりのリサイタルツアーという今回は、期待して王子ホールへ。
 楽器の音色なのか彼のタッチが此処に合わなかったのか少々の違和感は残るものの、手の中に入った感じのシベリウスはテクニックの難しさを感じさせない演奏。まったく楽々と美しく歌っていた。中でも「練習曲」という皮肉なタイトルの曲は、おもしろかったし、「舟歌」は「弾いてみたいな」と思わせる。
 グリーグはもちろんお得意だろうけれど。音色の豊かな人だと思っていたが音量の幅の細やかさはそれに増して、だと思う。なるほど、オーケストラと向こうを張って十分だったわけだ。

 後半の2曲の方が個人的には気に入った。シェーンベルクは歌と間が感じられたし、ベートーヴェンはオーソドックスな中に内省的な感じ、でも基本的に思索的というよりは陽性なんだろうなと思わせる。けれども、その構造感はしっかりとしており、最晩年の曲の完成度をきっちり聴かせてくれた、と思うです。
 会場には熱心なファンがつめかけていた…と思う。ファン層の年齢が広いというのも特徴なのだろうか、王子の会員さんもいるので一概には言えないが、老若男女幅広い層に支持されるアーティストだと思った。明日、8日もオペラシティで演奏会。こちらはベートーヴェンなどのほか、ムソルグスキーの「展覧会の絵」が入っているので、彼の真骨頂を聴くには良いかもしれない。

 あ。誤解のないよう言っておくと、彼はイアン・ボストリッヂの伴奏を務めたCDも出している。この音色と繊細さは、今回のコンサートで聞かせたライブ感とはまったく別のもの。才能の塊、という感じだ。

  
2006.11.03 夜の底から…
此処のところ書こうと思うコンサートが多くて、仕事も忙しく(って入稿期間中なので当たり前だが)なかなか更新出来ずにいる。
だけどメモだけでも、と思って書いておこう。
・・・裏blogを停止したついでに気分転換に表を裏っぽくしてみました(笑)。

エマニュエル・パユ。
稀代のフルーティストである。上手い、のはもう周知の事実だけれども、毎年、私たちの前に現れるたびに違う顔を見せ、新しい姿を見せてくれる。いや、クラシック音楽の演奏家が、そう毎度毎度新しくなくても、伝統と確かな本物の響きを伝えてくれればそれでいいって話もあるが。それでも。
彼は本物だ--。だから、どんな音楽だろうが、きちんとその伝統やら歴史観やら何かを踏まえてそのうえに積み上げてくるのがよくわかる。

11月1日と、今日3日。すみだトリフォニーホールで、1日はジャッキー・テラソントリオとクラシカル・ジャズを。今日3日は、豊嶋さんコンマスによる新日本フィルハーモニーと協奏曲を。
イベールとハチャトリアンはもう、コメント不要の凄さだったが、その前にしっとりと演奏されたモーツァルトの「アンダンテ」は秀逸だった。新日本フィルは響きや音色、軽いリズム感こそ素晴らしくモーツァルトしていたが、いかんせん、、、ううむ。パユのやりたいことと合ってた? これは指揮者の責任でしょうきっと。
 しっとりとした歌、古典の旋律、しかもオペラに題材をとったもの。そうやって単旋律のしかもフルートなんていうシンプルな楽器で吹く時に、その下にある和声や音楽をすべて包括して演奏していると、音楽そのもののかもし出すものがただ吹いているのとは完全に異なると思う。
もちろん。そんなのは当たり前のことではあるけれども、もはや、これは、別にフルートだとか楽器だとか意識してなくても、良い。

 1日のジャズは、編曲されたクラシカルなジャズではあったけれども、テラソンたちの作り出すリズムと響きの中に、ふいっと入り、対話し、押して引いて、乗って。
3曲目だかにラヴェルの「パヴァーヌ」が始まった時に、ただ夜の底に、音と響きが下りてくるのを感じながら、それに酔っていればよかった。批判も批評も忘れ--仕事も忘れて。ゆっくりその時間にたゆたいながら、1聴衆、舞台の上で起こっていることに無責任でよい1人の聴き手に還ろう。しばし。

パユのフルートはそんな時間を呉れる。

お陰様で、彼の本が出ました。私は企画・編集をしとります。会場では10月28日の神戸から先行発売していて、書店には(一部は並んでいるようですが)11月半ば予定。「エマニュエル・パユ 孤高のコスモポリタン」というphoto bookです。

     ・・・
 彼はどこまで行くのだろう?・・・
 その変化する天才に邂逅するとき
 私たちはその残滓を、わずかに記録に残すことしかできない。
 ただその足跡を追って、その片鱗を思い出す貝の欠片のようなもの。
2006.06.10 特別な才能
…禁断の、さかのぼり書きです(汗)。

ヒラリー・ハーンという女流がいる。
ヴァイオリニストで、CDでバッハを聴いて「すっげ!」と思っていたが、最初に生演奏を聴いたのはフランクフルトのアルテオパーで、放送響とともに。彼女に捧げられたという新曲を、非常な集中力と音楽性(と私は思った)で弾ききり、驚いた。名はすでに著名だったが、まだ20歳を少しばかり過ぎたところで、天才少女と呼ばれていたと思う。
…ここのところ毎年の来日。今回は諏訪内晶子さん急病の代役として、ヤルヴィ息子・兄のベートーヴェン・ツィクルスin横浜の協奏曲のため急遽アジア方面へ行く前に5月に数日立ち寄り。彼女自身のツアーはこの6月だった。
初めて垣間見た彼女は本当に妖精のようにかわいらしくて、神経質そうに見えた印象とは異なり、個性豊かで知的でフレンドリーな女性。ただ、時間軸が、普通の人と少し、ズレてるような感じ(笑)。
インタビューとかはあまり得意でないと言ったが、話し始めれば豊富な語彙と好奇心旺盛な話題で会話を展開していく。

6月7日満席のトッパンホール。出だしの一音から鳴り響くストラディヴァリは、ホールに充満した。時代性をあまり感じさせないモーツァルトには若干違和感はあったが、イザイやエネスクは秀逸で、そのヴァイオリンの素晴らしい音色は、逸材といえるもの。
あらゆる体の筋肉や神経が、音楽を奏でるために働く稀有な体躯。
「やっと天才少女とか、年齢の割りに素晴らしく弾くといわれなくなって嬉しい」と語る彼女は26歳。本誌8月末発売号にインタビュー載ります(writtne by Masako YAMAGUCHI)のでお楽しみに。
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