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2006.11.20
しかしチェロ一本で
テレビマンユニオンが第一生命ホールと組んでやっている「プロジェクトQ」というのがあって(いかにもテレビ関係者のつけたタイトルっぽいのだが、中身は真面目)。若いカルテットを一流の現場のレッスンを受けさせ、ステージを踏ませステップアップしてもらう機会を設けようという、受講者に選ばれればこりゃ夢のようなプロジェクト。
いくつかの団体がフェルメール、ジュリアード、ミケランジェロ、上海、アルバン・ベルク、ウィーンなど本当に世界の超一流のレッスンを受け、日本でも一流の講師陣の監督のもとにプレコンサートをやり本番をやり巣立って(?)いく。
その一環として「モーツァルトに挑戦」と題された一日。アルカント・カルテットのレッスンを受ける、公開で一般も視聴可。これは取材で行ってきた(記事になるかな?)。
・・・
それぞれが教授としても一流だというのは聞いていたけれど、特にヴァイトハース女史のレッスンには感動、、、記事にするならこれだなっ、と思いつつ、聴く。レスナーはステラのメンバーで、この若いカルテットはけっこう実績もあり、取材したこともある。なかなかか頑張ってはいるけれど曲やフレーズを分解したり基本に戻るとけっこうボロボロ。だが基礎がきっちりあるせいか、少しいじると格段に良くなるね。難しい曲にトライしているが、カルテットというものについてはよくわかっている人々だからもっとよくなっていくことだろう、きっと。
4講座目がケラスで、「不協和音」だった。(雨)の大好きな曲でもあり、自分でも何度も弾き、頭には入りまくってる曲だけど。弾けたなんて思ったことは一度もないが、特に序章は練習してるだけで幸せ~というくらい好きなモーツァルトである。これは、王子で彼らが演奏する曲でもあり、気合の入ったレッスンになった。
不思議なことに、どの団体も上手いのだが。講師が中に入っていろいろな指摘をしていくに従って、その団体の欠点というのがあからさまに見えてくる。もちろん長所もだ。各人の力量の違い(上手い下手ではなく苦手得意というようなもの)含めてそれをより克服し、研鑽していった団体が生き残り世に出てくるのだろうと思う。
ケラスのパワフルなことといったらない。彼は教えることも音楽の人生の中の重要な一つと位置づけている人で、この春、シュトゥットガルト音大の教授になったばかり。立ち上がり、たとえ話をし、あの大きな目をいっぱいに見開いて身振り手振り、歌ったり動作をしたり。なんともまぁパワフルな教え方。どのパートがどうやって絡まるか、そこの意味は。楽譜の読み方は(Urtextを見ようね)…etc.「古典の曲にはチェロのベースの動きが大切なんだ」と言いつつ、「響きで支えてあげなければいけない」と実際に音を出してみせるだけでなく音の出し方までコーチング。ひゃぁ。
一度、じゃぁやってみようといって自分が中に入って短いフレーズを弾いたことがある。単なる刻みだよ、でもその音楽の生き生きとしていたこと。一番感心していたのは真横で体中耳と目にしてた若いチェリストだけれども、会場からも思わず拍手が湧き出たくらいだった。
2時間立ちっぱなし。終わってからも学生に囲まれてサインやら写真をねだられていた。質問してた人もいたね(通訳さんも付き合っていたから)。
そういえば。
受講生のレベルは年々上がっていると思う。カルテットの何たるかを勘違いしている弾けるだけの学生もいなくなった。
だけど、公開レッスンとか見てて、自分から質問していく人って今のところ見たことない。いや一度だけあるか、それもやはりケラスのチェロのクラスだったけど。時間が勿体無いと思うのかな。だから終わってから行くのかな? もっとレッスン中に出てもいいようにも思うけど。…というのは聴衆の無責任な感想なんだろうか?
いくつかの団体がフェルメール、ジュリアード、ミケランジェロ、上海、アルバン・ベルク、ウィーンなど本当に世界の超一流のレッスンを受け、日本でも一流の講師陣の監督のもとにプレコンサートをやり本番をやり巣立って(?)いく。
その一環として「モーツァルトに挑戦」と題された一日。アルカント・カルテットのレッスンを受ける、公開で一般も視聴可。これは取材で行ってきた(記事になるかな?)。
・・・
それぞれが教授としても一流だというのは聞いていたけれど、特にヴァイトハース女史のレッスンには感動、、、記事にするならこれだなっ、と思いつつ、聴く。レスナーはステラのメンバーで、この若いカルテットはけっこう実績もあり、取材したこともある。なかなかか頑張ってはいるけれど曲やフレーズを分解したり基本に戻るとけっこうボロボロ。だが基礎がきっちりあるせいか、少しいじると格段に良くなるね。難しい曲にトライしているが、カルテットというものについてはよくわかっている人々だからもっとよくなっていくことだろう、きっと。
4講座目がケラスで、「不協和音」だった。(雨)の大好きな曲でもあり、自分でも何度も弾き、頭には入りまくってる曲だけど。弾けたなんて思ったことは一度もないが、特に序章は練習してるだけで幸せ~というくらい好きなモーツァルトである。これは、王子で彼らが演奏する曲でもあり、気合の入ったレッスンになった。
不思議なことに、どの団体も上手いのだが。講師が中に入っていろいろな指摘をしていくに従って、その団体の欠点というのがあからさまに見えてくる。もちろん長所もだ。各人の力量の違い(上手い下手ではなく苦手得意というようなもの)含めてそれをより克服し、研鑽していった団体が生き残り世に出てくるのだろうと思う。
ケラスのパワフルなことといったらない。彼は教えることも音楽の人生の中の重要な一つと位置づけている人で、この春、シュトゥットガルト音大の教授になったばかり。立ち上がり、たとえ話をし、あの大きな目をいっぱいに見開いて身振り手振り、歌ったり動作をしたり。なんともまぁパワフルな教え方。どのパートがどうやって絡まるか、そこの意味は。楽譜の読み方は(Urtextを見ようね)…etc.「古典の曲にはチェロのベースの動きが大切なんだ」と言いつつ、「響きで支えてあげなければいけない」と実際に音を出してみせるだけでなく音の出し方までコーチング。ひゃぁ。
一度、じゃぁやってみようといって自分が中に入って短いフレーズを弾いたことがある。単なる刻みだよ、でもその音楽の生き生きとしていたこと。一番感心していたのは真横で体中耳と目にしてた若いチェリストだけれども、会場からも思わず拍手が湧き出たくらいだった。
2時間立ちっぱなし。終わってからも学生に囲まれてサインやら写真をねだられていた。質問してた人もいたね(通訳さんも付き合っていたから)。
そういえば。
受講生のレベルは年々上がっていると思う。カルテットの何たるかを勘違いしている弾けるだけの学生もいなくなった。
だけど、公開レッスンとか見てて、自分から質問していく人って今のところ見たことない。いや一度だけあるか、それもやはりケラスのチェロのクラスだったけど。時間が勿体無いと思うのかな。だから終わってから行くのかな? もっとレッスン中に出てもいいようにも思うけど。…というのは聴衆の無責任な感想なんだろうか?
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2006.11.19
物凄い手ダレたちの弦楽四重奏団
20日、アルカント・カルテットのマスタークラスを新宿に聴きに行く。 →長くなるのでこの話は、20日のブログへ。
アルカント・カルテット、それなぁに、という方。
王子ホールのウェッブには「ジャン=ギアン・ケラスと仲間たち」と書かれています。「ケラスが世界最高の女流ヴィオリストといわれるタベア・ツィンマーマンとともにとんでもないカルテットを作った」、、、招聘する人たちにそういわれてしまうカルテットってどうよ? それだけでも期待・大じゃないですか。
実はこの話、2005年にタベアのインタビューをしたときに聞いていた。それで、「書いていい?」と訊ねたら「いいわよ。実はもうヨーロッパではプレ公演やったの」ということで、「バルトークの弦楽四重奏でデビューしちゃったわ。前々日まで私たち、『本当に、本気? こんな曲でデビューしちゃっていいの』『マジかー』なんて言い合いながらぎりぎりまでリハーサルして」なんて仰っておられた。つまり、こんな難しい曲で普通カルテットってスタートしないよ、しかも人前で演奏するなんて、という意味で。でも、「本気でカルテットやりたいのよね、私たち」というタベアの科白は説得力があった。
何故かというと、ケラスにせよセペック(ヴァイオリニスト。演奏家としてはもちろんだがバロック・ヴァイオリニストとしては世界最高峰の一人といわれ、ブリュッヘンらの信頼も篤い)にせよ、このタベアにせよ。現代音楽の旗手でもあるわけで、新作初演・委嘱作品なんかも死ぬほど演奏しているわけで。「ど古典の室内楽を、固定メンバーでやりたい」というのは、そろそろ実年に差し掛かっている彼らの焼け付くような願い、だったりするわけだそうで。
特にヴァイオリニストと違ってヴィオリストとチェリストには真剣な問題なんだそうだ。
「ベートーヴェンやモーツァルトの素晴らしいレパートリーをじっくりやってみたいのよ」それとなぜか「バルトーク」というのは彼ららしいけど。それがやっと日本で聴けるわけだから、そりゃ22日は楽しみでしょう、というわけだ。
武蔵野での演奏会は凄かったらしい。
雨の中、行ってきた人から「押し付け感動メール」なるものをいただいて、あぁやっぱりそっちも行きたかったなぁと思ったのは後の祭。ってか今の私の体力では無理だす。20日は午後中マスタークラスだし。
すでに17日のトリオで腰砕け、へろへろだし、、、
ともかく、著名アーティストが組んでの名前先行型のカルテットには賛否両論はある。だけど、彼らだって本当に弦楽四重奏がやりたい。それは弦楽器奏者ならダレでも思うことなんじゃないだろうか。ただし、ソリストとして演奏活動をしながら本当の相手にめぐり合い、それを続けていくのは本当に難しいのだ。だから、他を諦めてカルテットに専念するか、季節カルテットだけをやるか。どちらかになる(欧州の場合。日本では室内楽だけでは食えないので、、、大学の先生などしつつそれ専業でやっておられるところは3組くらいか)のだと思う。
てなわけで、アルカント・カルテットは果たして私のオシゴトになるのでしょうか。それはわからないけど、ウォッチしたい一つとして、いいやもう、ただのファンでも。--11月22日は王子ホールへ行きます。
アルカント・カルテット、それなぁに、という方。
王子ホールのウェッブには「ジャン=ギアン・ケラスと仲間たち」と書かれています。「ケラスが世界最高の女流ヴィオリストといわれるタベア・ツィンマーマンとともにとんでもないカルテットを作った」、、、招聘する人たちにそういわれてしまうカルテットってどうよ? それだけでも期待・大じゃないですか。
実はこの話、2005年にタベアのインタビューをしたときに聞いていた。それで、「書いていい?」と訊ねたら「いいわよ。実はもうヨーロッパではプレ公演やったの」ということで、「バルトークの弦楽四重奏でデビューしちゃったわ。前々日まで私たち、『本当に、本気? こんな曲でデビューしちゃっていいの』『マジかー』なんて言い合いながらぎりぎりまでリハーサルして」なんて仰っておられた。つまり、こんな難しい曲で普通カルテットってスタートしないよ、しかも人前で演奏するなんて、という意味で。でも、「本気でカルテットやりたいのよね、私たち」というタベアの科白は説得力があった。
何故かというと、ケラスにせよセペック(ヴァイオリニスト。演奏家としてはもちろんだがバロック・ヴァイオリニストとしては世界最高峰の一人といわれ、ブリュッヘンらの信頼も篤い)にせよ、このタベアにせよ。現代音楽の旗手でもあるわけで、新作初演・委嘱作品なんかも死ぬほど演奏しているわけで。「ど古典の室内楽を、固定メンバーでやりたい」というのは、そろそろ実年に差し掛かっている彼らの焼け付くような願い、だったりするわけだそうで。
特にヴァイオリニストと違ってヴィオリストとチェリストには真剣な問題なんだそうだ。
「ベートーヴェンやモーツァルトの素晴らしいレパートリーをじっくりやってみたいのよ」それとなぜか「バルトーク」というのは彼ららしいけど。それがやっと日本で聴けるわけだから、そりゃ22日は楽しみでしょう、というわけだ。
武蔵野での演奏会は凄かったらしい。
雨の中、行ってきた人から「押し付け感動メール」なるものをいただいて、あぁやっぱりそっちも行きたかったなぁと思ったのは後の祭。ってか今の私の体力では無理だす。20日は午後中マスタークラスだし。
すでに17日のトリオで腰砕け、へろへろだし、、、
ともかく、著名アーティストが組んでの名前先行型のカルテットには賛否両論はある。だけど、彼らだって本当に弦楽四重奏がやりたい。それは弦楽器奏者ならダレでも思うことなんじゃないだろうか。ただし、ソリストとして演奏活動をしながら本当の相手にめぐり合い、それを続けていくのは本当に難しいのだ。だから、他を諦めてカルテットに専念するか、季節カルテットだけをやるか。どちらかになる(欧州の場合。日本では室内楽だけでは食えないので、、、大学の先生などしつつそれ専業でやっておられるところは3組くらいか)のだと思う。
てなわけで、アルカント・カルテットは果たして私のオシゴトになるのでしょうか。それはわからないけど、ウォッチしたい一つとして、いいやもう、ただのファンでも。--11月22日は王子ホールへ行きます。
2006.11.16
「惑星」とエルガー
体調不良、前日、校了したとはいうものの。普通ならやめてるよ、と思いながら、久しぶりに「行きたい!」と思う演奏会。無理やりに行く。日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会、イギリス音楽の一夜だ。
第585回定期演奏会 サントリーホール 11月16日、17日
指揮:ジェームズ・ロッホラン
エルガー/ヴァイオリン協奏曲 独奏:川久保賜紀
ホルスト/惑星 (※「冥王星」は付いてない・笑)
私はどうもこの、ホルストの「惑星」が好きらしい。
「ジュピター」聴きながら涙しちゃいましたよ。
今夜の指揮者だったジェームズ・ロッホランというのはスコットランドはグラスゴーの人である。トーン・ハレ管の後、現在はフリーだと思う。とても素晴らしい、イギリス音楽やらせたら右に出る者はない。個人的には、実はサー・サイモン・ラトル&ベルリン・フィルの演奏するこの曲のCDより良かったぞ、、、ほんと。
生の音楽の感動…なんてよく知っているつもりなのに。毎日のように仕事で接している現場なんだが、改めて感じる。何かのために聴きに来てることを忘れさせるというのは良い演奏会なんだろうと思う。疲れているから、沁みるのかもしれない。揺さぶられ方もまた大きい。
「火星」のパーカッション、、、うわぁ森さんかっこいい! 弦楽器のコルレーニョ(弓の木の処で楽器の弦を叩くこと。弓が傷むので嫌うんですが、ものすごく効果的な音がする)もなんかすっごく良い。
やはり日本フィルの面目躍如なのが、音量が上がる時に、どこまでも大きくなっていく。この音圧感と弦楽器の和声の厚み、それにゆるりとのっかってくる金管の響き(金管はけっして上手いわけではないんだけど)は、このオーケストラ特有のものと感じる(、この魅力をもっと知ってもらえるような演奏会やんなきゃなぁと思うのだが)。これこそオーケストラの魅力、という音を時々出すので、どうしても応援団やめられないんす、私。
「水星」「金星」のアンサンブルも素晴らしかったが、やはり「木星」の有名なフレーズで感動する、、、て語彙ないですね、すみません。
「海王星」の栗友会の女声合唱もよかった(^^)。
この日は、ヴァイオリニスト・川久保賜紀が前半はエルガーのヴァイオリン協奏曲を演奏。舞台映えする姿に驚き。音楽も長い息のフレージングと音色の豊かさが素晴らしかったなぁ、安心して聴ける骨太な本格派の演奏。
・・・ということで、生で聴く贅沢を思い切り味わい、初心者のような気分になってゆっくりとした夜だった。家へ帰りついたらマジ、参ってたけど、、、こんなで明日大丈夫だろうか?
(サントリーでの定期は木・金と同じプログラムで行なわれます)
第585回定期演奏会 サントリーホール 11月16日、17日
指揮:ジェームズ・ロッホラン
エルガー/ヴァイオリン協奏曲 独奏:川久保賜紀
ホルスト/惑星 (※「冥王星」は付いてない・笑)
私はどうもこの、ホルストの「惑星」が好きらしい。
「ジュピター」聴きながら涙しちゃいましたよ。
今夜の指揮者だったジェームズ・ロッホランというのはスコットランドはグラスゴーの人である。トーン・ハレ管の後、現在はフリーだと思う。とても素晴らしい、イギリス音楽やらせたら右に出る者はない。個人的には、実はサー・サイモン・ラトル&ベルリン・フィルの演奏するこの曲のCDより良かったぞ、、、ほんと。
生の音楽の感動…なんてよく知っているつもりなのに。毎日のように仕事で接している現場なんだが、改めて感じる。何かのために聴きに来てることを忘れさせるというのは良い演奏会なんだろうと思う。疲れているから、沁みるのかもしれない。揺さぶられ方もまた大きい。
「火星」のパーカッション、、、うわぁ森さんかっこいい! 弦楽器のコルレーニョ(弓の木の処で楽器の弦を叩くこと。弓が傷むので嫌うんですが、ものすごく効果的な音がする)もなんかすっごく良い。
やはり日本フィルの面目躍如なのが、音量が上がる時に、どこまでも大きくなっていく。この音圧感と弦楽器の和声の厚み、それにゆるりとのっかってくる金管の響き(金管はけっして上手いわけではないんだけど)は、このオーケストラ特有のものと感じる(、この魅力をもっと知ってもらえるような演奏会やんなきゃなぁと思うのだが)。これこそオーケストラの魅力、という音を時々出すので、どうしても応援団やめられないんす、私。
「水星」「金星」のアンサンブルも素晴らしかったが、やはり「木星」の有名なフレーズで感動する、、、て語彙ないですね、すみません。
「海王星」の栗友会の女声合唱もよかった(^^)。
この日は、ヴァイオリニスト・川久保賜紀が前半はエルガーのヴァイオリン協奏曲を演奏。舞台映えする姿に驚き。音楽も長い息のフレージングと音色の豊かさが素晴らしかったなぁ、安心して聴ける骨太な本格派の演奏。
・・・ということで、生で聴く贅沢を思い切り味わい、初心者のような気分になってゆっくりとした夜だった。家へ帰りついたらマジ、参ってたけど、、、こんなで明日大丈夫だろうか?
(サントリーでの定期は木・金と同じプログラムで行なわれます)
2006.11.04
シューマンのピアノ協奏曲
エリック・ル・サージュ。
近年私がハマっているピアニストの1人。
飄々とした風貌で、その指からかもし出される色彩のパレットは、誰にも追随できない…ような気がする。いや彼が個性的なのか。
ル・サージュに夢中の聴き手はけっこういる。好き嫌いは分かれるピアニストかもしれないが。
本日読売日本交響楽団・東京芸術劇場・名曲コンサート。
指揮者はエト・デ・ワールト。いやぁ素晴らしかった。
オーケストラ団員に聞いたら、「オケもハッピーな感じ」と仰っていたが、ブラームスの大学祝典序曲と交響曲第2番である。すばらしー。
エリックが弾いたのはシューマンのピアノ協奏曲である。
彼は“シューマン弾き”として知られているが、本人もシューマンはライフワークにしており、その面目躍如の演奏だった。
・・・
この曲、私が唯一、オーケストラバックで弾いたことのある協奏曲である。いろいろな思い出が聴くたびによぎる…それ以前に、すっかり譜面が入っていると聴くのは辛い時がある。
今日は、まったくそれはなく。
まるでベルベットのような和声の使い方、ピアノをなでていくような、この楽器って打鍵しなきゃなんだよねぇみたいな響きを作ったり。
それにオーケストラとの掛け合いの美しいこと。
主役を管楽器に譲って中に入っていく時の幸せ感がこの曲は弾いていても素晴らしいんだけれども、ル・サージュはさすがに「室内楽の名手」といわれるだけあって、その力量は秀逸だった。
いやぁ堪能。第三楽章のへミオラも生き生きしてて、、、美しかったでした。う~ん、大満足。もう一回聴きたいくらい。
楽屋に行ったら、来日中の仲良したちが押しかけていた。
エマニュエル・パユ、ニコラ・ドートリクールetc..
8日と17日にもパユとのセッションがあるので、それも楽しみだ。
近年私がハマっているピアニストの1人。
飄々とした風貌で、その指からかもし出される色彩のパレットは、誰にも追随できない…ような気がする。いや彼が個性的なのか。
ル・サージュに夢中の聴き手はけっこういる。好き嫌いは分かれるピアニストかもしれないが。
本日読売日本交響楽団・東京芸術劇場・名曲コンサート。
指揮者はエト・デ・ワールト。いやぁ素晴らしかった。
オーケストラ団員に聞いたら、「オケもハッピーな感じ」と仰っていたが、ブラームスの大学祝典序曲と交響曲第2番である。すばらしー。
エリックが弾いたのはシューマンのピアノ協奏曲である。
彼は“シューマン弾き”として知られているが、本人もシューマンはライフワークにしており、その面目躍如の演奏だった。
・・・
この曲、私が唯一、オーケストラバックで弾いたことのある協奏曲である。いろいろな思い出が聴くたびによぎる…それ以前に、すっかり譜面が入っていると聴くのは辛い時がある。
今日は、まったくそれはなく。
まるでベルベットのような和声の使い方、ピアノをなでていくような、この楽器って打鍵しなきゃなんだよねぇみたいな響きを作ったり。
それにオーケストラとの掛け合いの美しいこと。
主役を管楽器に譲って中に入っていく時の幸せ感がこの曲は弾いていても素晴らしいんだけれども、ル・サージュはさすがに「室内楽の名手」といわれるだけあって、その力量は秀逸だった。
いやぁ堪能。第三楽章のへミオラも生き生きしてて、、、美しかったでした。う~ん、大満足。もう一回聴きたいくらい。
楽屋に行ったら、来日中の仲良したちが押しかけていた。
エマニュエル・パユ、ニコラ・ドートリクールetc..
8日と17日にもパユとのセッションがあるので、それも楽しみだ。
2006.11.03
夜の底から…
此処のところ書こうと思うコンサートが多くて、仕事も忙しく(って入稿期間中なので当たり前だが)なかなか更新出来ずにいる。
だけどメモだけでも、と思って書いておこう。
・・・裏blogを停止したついでに気分転換に表を裏っぽくしてみました(笑)。
エマニュエル・パユ。
稀代のフルーティストである。上手い、のはもう周知の事実だけれども、毎年、私たちの前に現れるたびに違う顔を見せ、新しい姿を見せてくれる。いや、クラシック音楽の演奏家が、そう毎度毎度新しくなくても、伝統と確かな本物の響きを伝えてくれればそれでいいって話もあるが。それでも。
彼は本物だ--。だから、どんな音楽だろうが、きちんとその伝統やら歴史観やら何かを踏まえてそのうえに積み上げてくるのがよくわかる。
11月1日と、今日3日。すみだトリフォニーホールで、1日はジャッキー・テラソントリオとクラシカル・ジャズを。今日3日は、豊嶋さんコンマスによる新日本フィルハーモニーと協奏曲を。
イベールとハチャトリアンはもう、コメント不要の凄さだったが、その前にしっとりと演奏されたモーツァルトの「アンダンテ」は秀逸だった。新日本フィルは響きや音色、軽いリズム感こそ素晴らしくモーツァルトしていたが、いかんせん、、、ううむ。パユのやりたいことと合ってた? これは指揮者の責任でしょうきっと。
しっとりとした歌、古典の旋律、しかもオペラに題材をとったもの。そうやって単旋律のしかもフルートなんていうシンプルな楽器で吹く時に、その下にある和声や音楽をすべて包括して演奏していると、音楽そのもののかもし出すものがただ吹いているのとは完全に異なると思う。
もちろん。そんなのは当たり前のことではあるけれども、もはや、これは、別にフルートだとか楽器だとか意識してなくても、良い。
1日のジャズは、編曲されたクラシカルなジャズではあったけれども、テラソンたちの作り出すリズムと響きの中に、ふいっと入り、対話し、押して引いて、乗って。
3曲目だかにラヴェルの「パヴァーヌ」が始まった時に、ただ夜の底に、音と響きが下りてくるのを感じながら、それに酔っていればよかった。批判も批評も忘れ--仕事も忘れて。ゆっくりその時間にたゆたいながら、1聴衆、舞台の上で起こっていることに無責任でよい1人の聴き手に還ろう。しばし。
パユのフルートはそんな時間を呉れる。
お陰様で、彼の本が出ました。私は企画・編集をしとります。会場では10月28日の神戸から先行発売していて、書店には(一部は並んでいるようですが)11月半ば予定。「エマニュエル・パユ 孤高のコスモポリタン」というphoto bookです。
・・・
彼はどこまで行くのだろう?・・・
その変化する天才に邂逅するとき
私たちはその残滓を、わずかに記録に残すことしかできない。
ただその足跡を追って、その片鱗を思い出す貝の欠片のようなもの。
だけどメモだけでも、と思って書いておこう。
・・・裏blogを停止したついでに気分転換に表を裏っぽくしてみました(笑)。
エマニュエル・パユ。
稀代のフルーティストである。上手い、のはもう周知の事実だけれども、毎年、私たちの前に現れるたびに違う顔を見せ、新しい姿を見せてくれる。いや、クラシック音楽の演奏家が、そう毎度毎度新しくなくても、伝統と確かな本物の響きを伝えてくれればそれでいいって話もあるが。それでも。
彼は本物だ--。だから、どんな音楽だろうが、きちんとその伝統やら歴史観やら何かを踏まえてそのうえに積み上げてくるのがよくわかる。
11月1日と、今日3日。すみだトリフォニーホールで、1日はジャッキー・テラソントリオとクラシカル・ジャズを。今日3日は、豊嶋さんコンマスによる新日本フィルハーモニーと協奏曲を。
イベールとハチャトリアンはもう、コメント不要の凄さだったが、その前にしっとりと演奏されたモーツァルトの「アンダンテ」は秀逸だった。新日本フィルは響きや音色、軽いリズム感こそ素晴らしくモーツァルトしていたが、いかんせん、、、ううむ。パユのやりたいことと合ってた? これは指揮者の責任でしょうきっと。
しっとりとした歌、古典の旋律、しかもオペラに題材をとったもの。そうやって単旋律のしかもフルートなんていうシンプルな楽器で吹く時に、その下にある和声や音楽をすべて包括して演奏していると、音楽そのもののかもし出すものがただ吹いているのとは完全に異なると思う。
もちろん。そんなのは当たり前のことではあるけれども、もはや、これは、別にフルートだとか楽器だとか意識してなくても、良い。
1日のジャズは、編曲されたクラシカルなジャズではあったけれども、テラソンたちの作り出すリズムと響きの中に、ふいっと入り、対話し、押して引いて、乗って。
3曲目だかにラヴェルの「パヴァーヌ」が始まった時に、ただ夜の底に、音と響きが下りてくるのを感じながら、それに酔っていればよかった。批判も批評も忘れ--仕事も忘れて。ゆっくりその時間にたゆたいながら、1聴衆、舞台の上で起こっていることに無責任でよい1人の聴き手に還ろう。しばし。
パユのフルートはそんな時間を呉れる。
お陰様で、彼の本が出ました。私は企画・編集をしとります。会場では10月28日の神戸から先行発売していて、書店には(一部は並んでいるようですが)11月半ば予定。「エマニュエル・パユ 孤高のコスモポリタン」というphoto bookです。
・・・
彼はどこまで行くのだろう?・・・
その変化する天才に邂逅するとき
私たちはその残滓を、わずかに記録に残すことしかできない。
ただその足跡を追って、その片鱗を思い出す貝の欠片のようなもの。
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