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 基本的にアマチュア楽団の感想は此処には書いてこなかったが、まぁいいかと書いておくことにする。アマチュアで芸術劇場2,000席完売って、どうよ(^_^;)。異様な、というか異質な楽団である。

 2009年2月15日(日) 14時開演 東京芸術劇場
  オーケストラ・ダスビダーニャ 第16回定期演奏会
  指揮/長田雅人、曲目/ショスタコーヴィチ:オラトリオ「森の歌」、交響曲第10番、独唱/小貫岩夫(Ten.)、岸本 力(Bass)、児童合唱/すみだ少年少女合唱団

 もともと関わりのある楽団だ(だいたい、かかわりのないアマチュアを聴きにいくこと自体めったにない、なぜなら関わりのある楽団だけでも相当数に上るからだ、という事情が(^_^;)どこも魅力的で、それで十分。わざわざ他所まで探しに行くときは、相当それが興味深いコンセプトである場合に限る)。本来なら乗っかってたはずで、体調を崩して最後の詰め&合宿に参加できず、断念した。ちくそー、合唱って不自由ですな。楽隊の方なら、風邪引こうが、今回のように気管支炎になろうが、なんとかなったのに(管楽器の皆さんごめんなさい)。インフルエンザに罹ったというのもあって…まぁいずれにせよ無理だったことでしょう。

 本番ひと月ほど前から、団内でも「チケット余ってませんか~」メールが飛び交い、最終練習日には「残券回収っ!」という指令が飛び、当日券は、当日団員たちが持参したチケットを販売に回す(チケットぴあはとっくに完売)という始末。まぁ全席指定とはいえS席もなにもなく2,000円という値段もあるけれども、アマチュア公演だぞ?

 もちろん案外、全国にいくらかある有名アマチュア楽団は固定客があり、知人友人も年に1~2度のことだからと集まり、プラスアルファの魅力もあってけっこう客が入る、という団体もある。芥川也寸志先生が作られた新交響楽団や、三多摩方面のイベントオケが発祥であちこちのオケからオーディションで集まったTAMA21交響楽団。JAOの総本山・中部地方の豊橋交響楽団、地域の雄・長野の諏訪交響楽団、関西の雄・芦屋交響楽団やヅカ響。…ほかにも地域を代表するオーケストラの演奏会は、たいていが満席だったりなんかするという程度には地元ファンがついているものだが、東京のど真ん中ですし。ふぅむ。
 ショスタコ好きがコアになって、「『レニングラード』を演奏しよう」と集まったのがきっかけ。一度集まったら解散するのが惜しくなり、少しの間を置いて何度か集まり、そのうち常設の楽団になった…と、以前、取材したときにそう語っていた。
 “一生ショスタコーヴィチばっかり”演奏する楽団、というとてもとてもはっきりしたコンセプトがある(一度、違う作曲家の曲を演奏したことがないわけではないが)。なにせ日本初演なども何曲かやらかしている、たいへんオタクというかマニアというか、いまとなっては逆にメジャー…そういう楽団。

                        ・・・
 演奏は、今年は素晴らしかった…。行けるときは必ず行っており、何故かこの日は他の演奏会と重なることが多いので、行けないときはCDで聴く(でもあの迫力はわからない)。
 2日経ったこの日もまだ最終章「スラヴァ」や「スターリングラード市民が…♪」が頭の中を駆け巡っているほど強烈である。
 音圧感というのだろうか。この楽団の凄いところは、「音色」がときおり、「こんなのプロでもムリ」というような音を出すこと。歌いまわしも然り。さらに、ほぼ全員が曲を熟知しているための音楽の見通しの良さ、というのか。自分のパートだけではなく全部をわかって弾いている(吹いている)という感じがするのだ。だから自分がどんな音を出しているというよりもオーケストラ全体の音楽が聞こえてきて、それが、毎年4か月くらいしか稼動しない“季節オケ”だというのに、しっかり自分のサウンドを持っている。

 だから毎年通ってくるファンも少なくない。普通のリスナーというか、音楽を聴くのが好きな人たちにも選ばれて演奏会に足を運ばせる何かを持っている。
 もちろん、アマチュアだから個々の技量は様々だ。管・打楽器のトップや弦楽器の一部には、すご(@ @)という人たちもいるが、もちろんそうでない人たちもいる。だが「石の上にも10年」で、力量もだんだん熟成してくるのだろう。そういう凄さもないわけではない。しかし細かいところをへくっても、音楽が大きく崩れることは、無い。

 感動する、という言葉は陳腐だが、なにか“揺さぶられる”感じだ。ちくしょう、客席にいるのがいやにだなぁ…と思う程度には、私もショスタコーヴィチが好きなのだろうきっと。

 2日経って、まだその余韻を引きずる。
 それはもちろん、ショスタコーヴィチという作曲家の作品の力もあるだろう。決して、モーツァルトやベートーヴェンのように“心地よく”は無く、バッハに涙するのとはまったく違う感情を持つ。人間の、そして唯一の【ソ連の】作曲家として(【ロシアの】ではなく)として最高を極めた人の、背景にある歴史や、社会。抑圧と開放、そして合唱入りで歌われたオラトリオ『森の歌』の、ある種無邪気なプロパガンダと喜びは、かの国の人々の想いをそれこそ国境も時空も越えて伝えてくれる気すらして。

 岸本さんがまた素晴らしく、それに涙する想いだった。日本でロシア歌唱の第一人者といわれてきて何十年。堂に入った発音と、そして年齢からくる声の衰えを補うばかりの思惟と深い響きが、胸に迫る。彼の演奏は何度も拝聴しているが、こんなに素晴らしかったことも少なかったかもしれない、というような名演だった。若い小貫さんとの響きあうテノールとの二重唱もまた胸を打つ。本当に美しかったですね。

 友人たちも何人か誘ったが、ワタシは客席で唸りながら聴き、友人・Pは「来年も来ますっ!」と拳を握り締めていたので、確実にファンを1人は増やしたようだ。1,999席を埋めた聴衆も(実際、1,700強入ったらしい)、熱く、良い雰囲気だった。しかしもしかすると、アマチュアだから、かもしれない、この燃焼ぶりは。プロの本気は凄いと常々思うが、それはそれ、これはこれ。どちらも素晴らしい価値あるものだと、思っている。

 形には残らないけれど、伝わるもの、残るものは時空を超えて、ある。形の無いものこそ、真実なのかもしれないね、と思うこともある。もちろんカタチも大事だけど。そんなこと考えた一日。
(珍しくマジになったかも)
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 珍しく読響の感想など書いてしまおう。なんか、語りたくなる公演だった、というわけだ。
…最近、仕事と関係ない楽団の演奏会ばかり聞いているような気がして少し自己嫌悪。前日のN響・Bプロ、残念ながら体調不良で行けなかった。あぁごめんなさい、行くっていったのに>Cさん

 2009年1月23日(金) 19:00 サントリーホール
 指揮/上岡敏之、ピアノ独奏/フランク・ブラレイ
 曲目/マーラー:交響曲第10番から「アダージョ」、モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番、ヨゼフ・シュトラウス:ワルツ 「隠された引力(デュナミーデン)」、R・シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」組曲

うひゃ、というプログラムである。まだ少々調子は悪かったが、指揮は上岡さんだし、絶対行く(-^-)と決めてのしのしとサントリーホールへ。

 どうやら読響は久々の国内ツアースタートらしい。最初にサントリーでこれをやってから、前プロのマーラーだけを「こうもり」序曲に変えて各地を回る。うん、良いことだ。

 ところでこうなると前週のN響・Cプロが聴けなかったのが超悔しい。ジンマンで同じ曲、かたやN響、かたや読響。指揮者の音楽が如実に出るだろうと思われて、、、う~くやしい。
演奏は、素晴らしかった。だけど、、主観だが「こなれてない」。だけど、こなれたら素晴らしい演奏になるだろう予感。この演奏はツアーで地方を回るのだが、残念ながら序曲だけはコレでなく、「こうもり序曲」に差し替えられる。確かにかなり聴きこなれた音楽ファンじゃないと、いきなり10番のアダージョでスタートはキツかろうが…。近い時期にもう一度演奏すればいいのになぁ、と思った。
 なにせ技術は抜群の楽団である。音符をそのまま並べるにおいては、なにか会心の出来だったんではないだろうか、とすら思われる。上岡さんも満足度高そう(顔がよく見える席なんで)。だってヴッパダールより(悪いけど)読響の方が上手いもんさ。やりたいことの表現はしやすいんじゃないか。

 だが衝撃はそのあとにきた。
 ブラレイは好きなピアニストで、ファンだといってもいい。インタビューも二度ほどしているし、彼のモーツァルトは絶品だ。だがちょっとはしょる。(もちろん素晴らしい演奏でした)

 おい。ここってウィーンのオケだったかい? 
読響が、“揺れる”というのを初めて見た気がする。音楽的な揺れ、これが完全。音色、ここは欧州か? もちろん最近の読響は、音色が変わってきたと感じており、重厚で男性的な部分だけでなく、音色豊かで透明感のある音も聴かしていただけるようになった。う~ん、もとが上手いんだから、これって凄く嬉しいというか、演奏会として満足感があるというか。
 それで、これですかい。
 よくも悪くも男性的なオーケストラという印象がある読響なのっすけど、なんか皆、楽しそうだったんですよ、この日は。いやいつも楽しそうじゃないというわけじゃないし、ニコニコ笑えばいいとはぜんぜん思っとらん。だけどなんかわくわく感て、外に出るでしょう? そういう喜びが伝わってくる演奏。
 しかもしかもしかも。あの「間」の取り方はなぁに? 絶対、日本のオケじゃない!! というようなシャレた、リズム感の素晴らしい、それで豊かなフレーズ感の。。。これは相乗効果でしょうか。
もちろん、それに引き続いて演奏された、「薔薇騎士」の組曲はもうブラボーでしたわ。

 久しぶりに、良いもの聴かせていただきました、という気持ち。
 楽員の方たちの表情も素敵だったし、聴衆もよい感じで。また上岡氏の来日&このカップリングでの演奏会を期待したいものです。
 正直、ヴッパタールの時より、ひどく良かったんだもの。。。ごめんね。


           ・・・
 “アップしそびれていた”アーティクル その1です。本当は1月26日に上げる予定でしたが、間抜けなのはご了承ください(_ _;)。
 なんだか、下書きを書いては放り込んだままアップし忘れている、というのが続いて、表にはぜんぜんアーティクルが上がっていないという事実に、PR文が入っていたのを見てきづいたりして。
だめじゃん、私。

 2009年1月31日(土) 川畠成道・ニューイヤーコンサート

 を聴きにいった。
 31日になって「ニューイヤー」も無いと思うが、そのあたりはシャレだったりして、実はツアーで1か月間続いていたのである。彼はMCも上手いし、なかなかユーモアのセンスがある。

 最近は、彼の演奏を聴くことが増えているのにけっこう気合を入れて聴きにいったのは、彼の親友で相棒であるピアニスト、チャドリックのピアノを聴くためでもあった。それに、「リサイタル」になると、普段、名曲を素晴らしい筆致で聴かせてくれる彼の、「ど真ん中のクラシック」にも興味があったりして。

 結果は。
 面白い解釈をするなぁ。もっとこうしたら、あぁしたら。
それとピアニストとは、非常に息が合っている。彼らは英国王立音楽院時代の同窓生なので、もしかしたらその解釈は、そこんち風なのだろうか? そうも思う。
 ブラームスのヴァイオリンソナタ。大好きな曲であり、自分でも相当勉強した作品だ(ヴァイオリンで弾いたという意味じゃないです)。好き嫌いでいえば、個人的にはもう少しドイツっぽい、骨格のハッキリした筆致の方が好きだ。だが、聴いているうちに説得力を持ってくるのが彼らの面白いところ。
 ピアニストはとてもよい。音色とタッチ、それになんだか「合わせてる」という感じがしない。ケラスとタローにみるように、互いが“合っている”のだろう。これは育っていけばよい相棒になる。

 ただ、それだけに同じ穴の狢にならないようにしなければならないようにも思えた。
ピアノがもっと前に出てもいいのでは。そういうシーンにも何度も出合ったからである。特にこのソナタについてはそうなのだ。

 川畠というのは不思議なヴァイオリニストである。
 「もう少し、そこは…」そんな部分が散見される処もあって、あぁこっちの方向へ行ったものを聴いてみたい、そんな風に思わせることも多々ある。だが、彼は現在演奏しているものについては、できうる限りの完璧に近づけるように研鑽していて、それは揺るぎの無い確かさで提供される。その、ある種の“毅さ”は彼の強みであり魅力なのだろう。
 そして、どんな曲のどんなシーンでも、必ず。一箇所以上の部分で、その、「天から与えられたとしか思われない」音色を聴かせるのである。音色、だけではない。ここにその音が存在するのは与えられたものだとしか考えられないような、澄んで、透明で、そして楽器自身が歌うかのような。まるで光に変化してしまったような音を、ワンフレーズそこからまたさらに音楽は展開していく。
そうすると、その前後の解釈もどうでもよくなるのかもしれない。

 いやだが。
 まだまだ彼は大きなヴァイオリニストになれるのだろう。だが、今のまま行っても相当良いヴァイオリニストであり、人に愛され、世の中のある部分を変えていける存在であることは確かだ。
だが、敢えて踏み込んでほしいと思うのは、まだ、「可能性」をすら秘めているからだったり。幸いにも彼は歩むことをやめることはないだろう。ただひたすら、「今日より明日を、今年より来年を」。10周年のコンサートが続いているが、その最後に彼は必ず「次の10年」と言う。それがある限り、川畠成道という存在は、変化し続けていってほしい、その「持てるもの」を大切に磨きながら、そう思うわけだった。

 う~ん、5月16日にイグモアホール(英国)に行くかどうか、迷うところだなぁ、、、